居直りからの目覚め

私が20歳代のころ(約35年前)「ファッション・ブティック」が日本に出始めました。私は東京の六本木でIN&ONT(ブティック)に参加し、衣を持って自分を目一杯飾り、「人と違う自分、カッコイイ自分」が全ての生き方をしていました。

数年後ファッションの仕事から転職し次の仕事に就くまでに少し時間がありました。
目一杯カッコイイ自分(勝手に思っている自分)からカッコ悪い自分(普通・表面的)になった時、自分を知っている人に会いたくない。特にカッコイイ自分を知っている人には会いたくない。そんな、元気のない悶々とした日々を過ごしていました。

ある日、ファッションの仕事を一緒にしていた昔の仲間、友人、知人が集まるイベントが有り、どうしても出席することになりました。行きたくない、会いたくない、そんな日々を過ごしている時、頭の中にある考えが浮かんできました。

「誰にどう思われてもいい、思うのは勝手だ。今の自分を見下されても、離れていく人がいても仕方がない。それが今の自分だから。ただ、自分が元気を取り戻したとき、態度が変わった人には真剣に関わらないでおこう。」と強く思いました。

自分勝手に惨めに思い、勝手にドン底と思って、その自分を居直ることが出来たとき、前向きに進むキッカケになり元気を取り戻しました。
自分に居直ることが出来たその時、思考に力が戻り、意識や想いを自分の外に向けるのではなく、自分の内に向けることが出来るきっかけになりました。

悟りを開いていたWANAちゃん


8年前、生まれて間もない網羅が10円玉位のWANA(亀)ちゃんが家族の1員になりました。種類は銭亀です。

一緒に生活をしていると、次第に心が通じ一緒に遊ぶようになりました。

6年目の冬に冬眠をトライさせました。ところが、冬眠から覚める時期になっても餌を食べません。心配で動物病院でレントゲン写真を撮り栄養注射をしました。
注射1回5千円です。あまりにも高いので病院で注射機、栄養液を買って私が注射をして4日目に食べるようになりました。良かった。

WANAちゃんは水槽から出して体を洗って床に置くと私の後を追っかけて来ます。風呂に入ると、扉の前で待って居ます。洗面台の前では足の上に乗っかって来ます。その後、指先でジャレたり、追っかけたり、噛んだり、2本足で立ったりし、私が出かけるまで追っかけて来ます。

ある時、奥さんとWANAちゃんの話をしている時、WANAちゃんを見ると目が合い、話していること、考えていること、み~んな解っているよという目をしていると感じたのです。
それから意識して接すると、WANAちゃんは、自分が亀で亀として、淡々を日々を生きている。WANAちゃんが居るだけでその場が生きている場に変わります。楽しみ、歓び、気付き、生き方を教えてくれるWANAちゃんは悟っている。と素直に感じました。
師匠、これからもご指導お願い致します。親ばかの独り言でした。

先輩からの贈り物

私は高校1年から剣道を始めました。

動悸は不順で、面をかぶれば顔や目が隠れて見えない。先輩であろうと先生であろうと強くなれば相手の頭を思いっきりひっぱたける。これは楽しいと想い、剣道を始めました。また、剣道とは、剣の道か?などと想いながら練習に励みました。

練習をしていると1人の先輩が、私だけを徹底的にいじめて(鍛えて)くれたのです。

真面目に剣の道とはという想いが、次第にその先輩より強くなり叩きのめしてやる、に目標が変り練習に励み、結果急激に強くなりました。そして、ついにその時が来て先輩を負かし目的が叶いました。

仕事を始め数年たったある日、ふと頭の中に剣道の先輩が出てきて、本当は、宮原は自分が憎まれ役になり鍛えてやれば強くなるのではと想い、憎まれ役をやってくれたのではないか?そんな想いが頭の中に浮かんできました。

その瞬間、憎い先輩から有り難い感謝の先輩に変りました。
善悪は自分の外にあるのではなく、自分の内に有る。と、その先輩からおそわりました。

場や環境が人に多大な影響を与える力を持っている

2人の子供が別々の環境で育ちました。

A君が育った住まいは、部屋の中がぐじゃぐじゃ、掃除はしてない、照明は電球が切れかかって部屋が暗い、台所には使った食器がそのまま、空気がよどんでいる、そんな環境で育ちました。

B君の育った住まいは、部屋の中は綺麗に整理整頓され、壁に掛けてある絵は真直ぐ掛けてあり、照明は暖かい光で包まれ、台所やトイレは綺麗に手入れがされ空気も換気がされよどみがなく、アロマの香りがする。そんな住まいで育ちました。

1才~5才~10才になり、2人には、明らかに大きな違いが起こります。当たり前の基準、価値観、性格、思考、健康などに影響を受けます。A君、B君2人の違いの影響を与えたのは何でしょうか。それは、その場や環境です。場や環境は人間にとって多大な影響を与える力を持っているのです。

砂漠では生命はほとんど宿りません。自然豊かなところでは生命が宿り、変化が有り、喜びが生まれます。この違いは場や環境が違うのです。極端ですが、解りやすい対比です。

場や環境を整え、命が宿る健康な場や環境にすることが大切だと想います。